マルガリータの瞳

チェレステにやられる毎日。

その名は"Oltre XR4"

f:id:cheleste:20170224203938j:plain遂に組上がりました。Oltre XR4。
土曜にお願いして翌週の金曜には出来上がってた。
何から何までありがとうございます、コギー青葉台さん。
唯一ネックなのは横浜にあるということ。
片道2時間弱を計3往復するのはしんどかった。

構成は以下の通り。

【構成】
Model:OLTRE XR.4
Colour:BZ-Black Matt/CK16 Grossy
Size:53

<Frameset>
Frame:Carbon w/Countervail PressFit 86.5x41mm
Fork:Full carbon Aero w/Countervail 1.1/8"-1.1/4”
Headset:Fsa Orbit C-33

<Group>
Shifters:Shimano Dura Ace R9100
Front Derailleur:Shimano Dura Ace R9100
Rear Derailleur:Shimano Dura Ace R9100
Crankset:Shimano Dura Ace R9100 50/34T
BB:Shimano BB-R9100-PB PressFit
Chain:Shimano Dura Ace
Sprocket:Shimano Dura Ace 11sp 11-28T
Brakes:Shimano Dura Ace R9110-F/R direct mount
Brake Lever:included
Pedal:Shimano Dura Ace R9100 SPD-SL

<Wheels>
Wheels:Shimano Dura Ace WH-R9100 C40 Clincher
Tire:Continental GrandPrix 4000S Ⅱ 700x25C

<Components>
Stem:3T ARX LTD(80mm)
Handle:3T AERONOVA LTD(400mm)
Grip:Lizard skin celeste(2.5mm)
Seatpost:Bianchi Oltre Full Carbon Aero(300mm)
Seatclamp:included
Saddle:Sanmarco Mantra Racing Narrow 2016 Limited ver

Dura Aceの嵐。グレードアップしていないところが一切ない。
ビアンキの公式HPから大体パクらせていただきました。
唯一違うのはステムとハンドルとホイールかな。
完成車にしかくっついてこないねんステム一体型ハンドル。
正確にはVision metron5D。まだ一般販売は先だからとりあえず見送った。というか高過ぎて無理。
ホイールはロットNLユンボと合わせた。主にC60使ってるみたいだけど使い分けが面倒だからC40に。

さて、インプレというほど乗り込んでいないが第一印象を。
今しか感じ取れないものだからね。

①軽い
②良く進む
③乗ってて楽しい
この3点に限る。小学生でももう少しマシな感想を抱きそう。あと先代のImpulsoとの相対的な評価にならざるを得ないが決してImpulsoを貶めてるわけではないことをご承知置き願いたい。

①軽い
XR4はエアロロードなので軽量化はそこまでされていない。フレームだけでギリギリ1kg切る程度。持ってみた感じでも劇的に軽い!とは思えなかった。
前のImpulsoよりは間違いなく軽いのだが期待していたよりは…という感じ。
が、乗ると流石に違う。
ちょびっと踏んだだけですー…っと進む。この辺はフレームだけでなくクランクとホイールの恩恵もあるだろう。
N村さんに指摘されたが、全部一気にハイエンドにしたから何のお陰で速くなったのか分からない状態。
オールラウンドを謳ってるだけあって坂でもグイグイ引っ張りあげてくれる。

②良く進む
①でも大分触れたが踏んだ以上に進んでくれる。軽いのとエアロのお陰かな。

③乗ってて楽しい
たのしい。おわり。

以上になります。
ブルベ300kmとか出てみましたがいい感じです。
膝はめちゃくちゃ痛くなったけど。

呪われたフレーム

Oltre XR4買いました。
Team Oltreの試験に落ちてから4日後。
我ながら何も考えなさすぎてちょっと怖い。
一番怖いのはフレームとコンポその他諸々買ったせいで貯金が尽きかけてるのに特に後悔していないところ。

そんなこんなでフレームと一式揃え、後は組むだけの状態に。
最初は自分で組むのを真面目に検討したけど工具が無いのと知識が無いのでミスったときにどうしようもない、というところで諦めた。
色々間違えながら組んだ方が結果的に良かったのかもしれないが、如何せんフレームが高過ぎる。そして月末にはレースが控えてるので早く組んで早く乗る必要がある。

というわけで何度かお世話になってる西船橋の小さいショップへ。
事前に電話して工賃1万くらいとの話だったのでその時はこれくらいが相場だと思ったが実は破格のお値段。
直前まで自力で組もうと悪あがきしており、下玉入れを圧入できず挫折したらへんが14時くらい。実際にお店に着いたのが15時半くらいだっただろうか。
ここのお店、駅から地味に遠くてフレームとコンポ運ぶのがすごく大変だった。まあ輪行してるようなもんか。
店主がフォークを見て触って3秒後、「カーボン…はウチでは出来ないですね。」と。
えっ出来ないの!と思うよりも何故この短時間で判別出来たのか驚きだった。
元々こちらのお店は基本的にシティサイクルしか取り扱っていない。
何度かロードを持ち込んでメンテナンスしてもらってたのでロードも組み立てられるだろうと思っていたのだ。
店主曰く、「カーボン用の圧入工具」がないとのこと。
丁寧に出来ない理由を説明してもらい、出来そうなショップを紹介してもらう。

2軒目。
近くの少し大きめの個人経営店っぽいところ。
多分店主は私と同じ名字。そして見た目がちょっと胡散臭い。対応はしっかりしていたが。
こちらはまずダイレクトマウントブレーキの存在を知らなかったそうで「しきりにこれシクロ?」と聞いてきた。
ここでやっと私も手持ちのブレーキでは対応していないことに気付く。
色々話を聞くと工具はあるけど全部ご自宅にあるそうで。
それに加えてコラムを切るときにフォークにクラックが入る可能性があり、そうなった場合は保障できないと。
要するに出来ないことはないけど、多少工賃も高くなるし綺麗には組み上げられないし時間もかかる、ということだった。
他のもっと大きなお店に行った方が絶対いい、と勧めてくれた。
因みに某チェーン店にも顔が利くらしく代わりに聞いてくれたが、基本的には他店購入品は受け付けないらしい。
紹介だからやってあげようと思ったけどダイレクトマウントブレーキ知らないからちょっと…という話だった。
最終的に他でも無理だったらうち来てくれればやってあげるよ、というお言葉をいただいた。とても優しい店主だった。
さっきのお店もそうだけどメンテナンス来てお金落とそう。

書いてて思ったが1軒目の店主はダイレクトマウントブレーキの存在を知っていた、ということになる。
シティサイクルしか取り扱っていないのに何者なんだろうか…。
恐らく私のようなローディがよく来るせいで詳しくなってしまったかそもそもロード乗ってて最近の事情にも敏感なんだろうな。

3軒目。
もうここら辺にある大型店は使えない(or使いたくない)ことが分かったので丸の内のビアンキショップに頼むことに。
電話口では他店購入でも大丈夫ですよーというお話だったので一安心。
その前にSさんがオススメしていた錦糸町のお店に電話で聞くと工賃4万円だったので秒で検討させていただきます、と切った。まあ色々事情があるんだろう…。
ヒイヒイ言いながら丸の内に。肩と二の腕が辛い。
何度かこちらのお店にはお世話になってるが見たことのないメガネのオシャレな店員さんが対応してくれた。
結論から言うと「無理です」と。
電話口では勘違いしてしまったが直営店での購入でないとバラ完は受けられませんと。
レパルトコルサでもダメなんかい…。
凄く申し訳なさそうしながら購入したところで組むしかないですね…と教えてくれた。

4軒目。
購入したコギー青葉台店へ。
心身ともにヘロヘロな状態で電話すると笑いながら快諾してもらえた。神か。
営業時間過ぎそうだったがお待ちしますよ、ということだったのでとにかく急いで向かう。
着いたのが20時前。営業時間は19時半まで。
本当に待っててくれていた。
フレームを買ったときも丁寧に説明してくれたし、フォークが折れる話も知っていたのでかなり信頼していたがやはりちゃんと対応してくれて、持ち込んだコンポの一部が使えないことを教えてくれた。
ねじきりBBじゃなくてPress fitじゃないとダメですね、と。
そういえば完成車はその規格だった…。まあデュラエースだったらいけるでしょ、と楽観したのがアホだった。
使えないのはBBとブレーキだけだったのでそれだけ買うことにして、チェーン落ちした際のフレームガード?みたいなやつも激しくオススメされたので買った。カーボンは間が狭いからチェーン落ちして挟まったら大変なことになるよ、ということだったので。
あと持ち込んだサドル。シートピラーからどうしても外せなかったので外してもらった。
あぁこれね…とネジを緩めてテコの原理でぐわっと開く、というかなり原始的な方法だった。
唯一持ち込んでいなかったペダルは後日、ということに。
他にも色々話を聞いてもらい、来週の日曜には出来ますよーと。
工賃はまあこの辺が相場か、という線。それに加えてガラスの鎧を着せてもらいまあまあなお値段に。
来月の家賃が払えるか怪しくなった。というか多分無理なので大家さんに待ってもらおう…。
お金が無いという理由ではなく、単純に忘れていて当月払いにしてもらったことは何度かあるので多分いける。はず。

何度もお礼をしてお店を後にして帰宅。22時半くらい。
流石に半日機材を持ってウロウロしたのでかなり疲れた。
ご飯も食べていない。母親がくれた1週間早いバレンタインのチョコをつまんでカンチェの勇姿を見ながら寝落ち。

Oltre XR4の構成については別で書くけどサドルとペダルはImpulsoから移植しようと思っていた。
理由はお金が無いのと乗り心地に影響するところだから出来るだけ慣れるまでは前のを続投させたかった、の2つ。
しかし、来週の土曜は熱海ライドがある…。
久しぶりのゆるポタなので参加するつもりだったがサドルはXR4と一緒に預けてしまった。ペダルは前述の通り、家に置いてきたのである。置いてきた理由は外れなかったから。
もう仕方ないかーとゆるポタ用にサドルをポチる。
でもROMA Ⅲのサドル多分使えるんだよなー。クロスバイクだけど。
間に合わなかったらそれしかないな。

いずれにせよ来週までロードに万全な状態で乗れないので凄まじくやる気が起きない日曜の昼下がりであった。

2016年回顧録

今更オブ今更感はあるが昨年を振り返る。
要約すると以下の通り。


2016年1月虚

5月無
6月 ロードバイク購入。
7月 兄貴と荒川CRライドで初ハンガーノック
1回の走行距離100km越え達成。
8月 初ヒルクライム(ヤビツ峠)、
1回の走行距離200km越え達成。
9月 ガーミン購入、2度目のヒルクライム(都民の森)
この辺りから平日も真面目に走り出す。
10月 初脚攣り、ツルマス加入。兄貴以外の人と初めて
一緒に走る。
11月 初レース(もてぎ)では脚を攣るが善戦。
2週間後にもレース参加。脚をつるが善戦。
初めて月間走行距離1000km達成。
12月 3度めのレース参加。自走。
月間走行距離1400km。

年間走行距離3903.8km(ガーミンの記録のみ)


以下レースリザルト。

2016年
もてぎ7時間エンデューロ 2時間ソロ
52位/248名 ※代理出走

セオフェス 2時間エンデューロソロ
43位/180名

ウィンターサイクルマラソンinそでがうら
2時間エンデューロソロ 16位/69名


記事書いてないのでついでに載せとく。
2017年
ツインリンクもてぎ100kmサイクルマラソン
男子A 17位/83名
→今思えばこの時が上半期の全盛期

続・Team Oltre

やっぱり落ちてました。
落選通知見て数分後、丸の内のビアンキショップ行ってXR4眺めて「あぁやっぱ欲しいな」と確認し、普通に買うことを決意。
というか1日中考えてた。買うべきか否か。流石に高過ぎるし。

お金はとっても大事。貯金はあるけど大金を使う恐怖。でもそんなことより悔しさが上回った。買って勝つ。絶対に勝つ。もう誰にも負けたくない。
因みに私以外の3人は通ってました。
惨めさブーストし過ぎてぶっ壊れそう。

他のもっとコスパが良いやつあるんだろうけどビアンキ以外のロードに乗るつもりないしそれで勝つつもりもない。
というわけでTeam Oltreは全員敵。今年は全員倒します。

チャリンコを始めたきっかけ

人には何度も話してるけどチャリンコを始めたきっかけを。

中高大とずっとチャリ通(全部実家通い)だったせいか社会人になったらもう自転車はいいかなあと思って千葉に来てからはママチャリすら買わなかった。
別に嫌いではなかったけど今後の人生ではもう乗らなくていいやと。大学時代はクロスで自転車の楽しさを十分味わったし。(ロングライド2回しかしてない)
世の中には何10万と自転車にお金をかける人がいるのは知っていたが理解できなかった。

実を言うと大学の頃に何度か友達のロードに乗ったことがある。ビンディングも履いて少しだけ。秒で落車したけど。
その友達にお前もロードやれよって誘われたけどアホかと思った。たかがチャリに20万もかけられるかと。
ワイのクロス(GiantのSnap)4万やぞ。
少し経ってから別の友達にも誘われたけどやっぱり断った。
因みに2人とも喧嘩(チャリ無関係)してしまってからもう連絡を取ってない。
こちらから歩み寄ったりもしたけどまあダメだった。どちらが悪いとかじゃなくて根本的に考え方が合わなかったんだと思う。でも考え方が合わなくても仲良くは出来ると思うんだよな。いつかは一緒にライドでも行って仲直りできたら…。

閑話休題
そんなこんなで社会人になってからは自転車は乗るつもりはなかったが転機が訪れる。
2016年6月、僕は仕事でクソ忙しいのと上司のパワハラで実質死んでいた。4月-6月だけで残業200時間は余裕で越えてた。まあ色々とタイミングが悪かったせい。死ぬほど忙しいと記憶が飛ぶと聞いたがマジだ。
割と人生のどん底で、本気で会社を辞めようと思っておりその先はあまり考えていなかった。(というより考えたくなかった)
とりあえずお昼休憩は死んだ目で転職サイト眺めてたよ。

そんな時、兄貴がロードバイクを始めようと誘ってきた。
兄貴は大学時代、ロードバイクをやっていたが飽きたのか何なのか知らぬ間に辞めていた。それが今になって何で?って思ったら奥さんから太ったのを指摘されチャリに乗れという指示があったらしい。
今にして思うと兄貴が太っていなかったらロードバイクなんか乗らなかっただろうし会社も辞めていただろう。もちろんツルマスの皆さんに会うことなんて無かったんだろう。兄貴の肥満に感謝。

話が反れた。
誘われはしたが最初はやっぱり興味が無く適当にショップを一緒に回っていた。むしろ兄夫妻に会って会社のことを忘れたかったのが目的だった。
本気で買う気なんて無かったから適当に話を合わせていただけだった。
だけど何回かロードバイクを眺めている内に急に欲しくなってしまった。
そのきっかけは何だったかは覚えていない。高校時代ハマったマンガ「Over Drive」を思い出したのかビアンキに惚れたのか分からないけどとにかく欲しくなったのだ。
そして買うならチェレステカラーのやつ。チェレステなんて名前は知らんかったけどビアンキが昔のお姫様の瞳の色をモチーフにしてるのは知ってた。
あと全然関係ないけど私はガンダムが好きだ。特にUC。多分誰でもユニコーン見ればビアンキ乗りたくなる。

そんなこんなでImpulsoを購入。言い出しっぺの兄貴よりも早かった。
かの悪名高いワイズロードでの購入だったが15万と格安だったのでまあいいとしよう。ついでにカーボンのシートポストくれたし。
ただもう利用しない。

買って輪行して帰ったその日に、外は雨降ってて暗かったけど我慢できずに乗ったのを今でも覚えてる。
本当にスイスイ進んで今まで乗ってた自転車が別の乗り物かと思うくらいだった。
これは羽だ!とニヤニヤしながら夜の習志野を走り回っていた。その時は道交法知らなかったから歩道爆走してた(アカン)

ビンディングは怖かったからまず3回くらい普通の靴で乗って、3本ローラーで少し練習してからチャレンジしたら案外簡単だった。むしろ3本ローラーの方が乗れなかった。
お店では死ぬほど苦戦してマジで向いてないかと絶望したけどどうにかなる。ワイズだったからクリートガバガバだったんだろう(適当)
もちろん立ちゴケもしっかり2度ほど経験した。クランクに引っ掛けたせいで未だにうっすら傷が残ってる。

少しずつロードバイクという乗り物に慣れていって少しずつ走れる距離を伸ばしていくのが本当に楽しかった。50km走れたから次は100km!とか100km走れたから次は200km!みたいな感じで成長が目に見える形で表れてこれは面白い!と。
どこかに書いてあったけど大人になってから自分の成長を明確に感じる機会ってそうそう無いと思う。
ロードの本来の魅力はここではないどこかに連れて行ってくれるところだと思ってる。それは場所に限らず。

うまくまとまらないけど以上がロードを始めたきっかけ。
これからも走り続けてもっと遠く高いところに行きたい。
あの日見たマルガリータの瞳に魅せられて。

Team Oltre

昨日1/21(土)、Bianchiが主催するTeam Oltreの実走試験を受けてきた。
場所は年末に行った伊豆CSC
ESが通ったチームメイト3人と共に腕試し。
試験内容は3周個人TT。1周5km、獲得標高150mくらい。
TTは苦手なんだよな…と思いつつも全力を尽くす。

合否連絡はまだ来てないが…恐らく私はダメ。
17名中12位という微妙すぎる順位だった。
しかも女性3名も含めてだから実質下から3番目。
タイムが33分だったということで「あ、ダメだわ」と半分諦めていたが終了後、リザルトを見て絶望。
因みにチームメイトはSさんが2位、Aさんが5位、Kさんが女子2位。
私以外みんな強い…。

入賞を目指してこてんぱんにやられた初レースの時は割と凹んだが今回はそれ以上にクるものがあった。
自分の好きなブランドのチームのオーディションで散々な結果。
別にBianchiは悪くない。弱い自分が悪いだけ。
それは良く分かるのだが…情けなさでいっぱいだった。

言い訳はいくらでもある。
まだロードを始めて半年しか経っていないこと、機材は周りより恐らく見劣りしていたこと。他の面子が豪華だったこと。そもそも最近練習していなかったこと。
あらゆる要素が不利ではあった。
だが結果は結果。結果が残せなければ何の意味はない。
例え全員同じ機材でやったとしても私は同じ順位だったと思う。

いい加減初心者のような言い訳を使うのは止めよう。
半年しかやっていなかろうとニローネに乗っていても私より速い人はいる。
悲しいが現実だ。受け入れないと何も変わらない。
受け入れた上でどうすればいいのかとにかく考えるしかない。

まず手っ取り早い方法は機材の改善。
少なくともエントリーモデルからミドルグレードに乗り換えれば坂は多少速くなるはず。
ただ根本的な解決にはならない。やるべきは徹底した練習。

足が少し痛いから…とサボっていてはいつまでも速くならない。
とにかく乗り込むしかない。質も大切だが量が無ければ意味はない。
練習の質を考えるのは量を膨大に積み上げて積み上げてこれ以上何をどうしたらいいのか分からない…と行き詰まったときじゃないかと思う。

とにかくやるしかない。
ペダルを踏み続けなければ前に進めないのだから。

初めてレースに出た話

とある某ツルマスヴェロクラブに加入し数週間後、
Kさんの代理でレースに出ることになった。
初レースは11/3(木)開催のもてぎ7時間エンデューロ、カテゴリは2時間エンデューロソロ。
最初、祝日ってこと知らなくてこいつら平日もレース出るのかよ…って思ってました。へへ。

結論から言うと惨敗。
43位/180名。

以下レース展開。

スタート位置が重要とのことなのでとりあえず前の方に…と思ったらめちゃんこ人いてローリングで前に出ることに。
スタートまでツルマスの方々と一緒に並んで待つ。
面子は僕の敬愛するSさん、最近よく◯し合いをさせていただいているNさん、この頃は若干近寄りがたかったKさん。
そもそもローリングって何?状態だったのは内緒。
スタート10秒前くらいには心拍数が140くらいに。
生来のハイパーアガリ性が遺憾なく発揮される。

そしてスタート。当然前の方が動かないのでちょっと待ってから踏み出す。
Sさんがガンガン前に出ていくのでそれを頑張って追う。
Nさんも呼応して前に出るがSさんほどアグレッシブではないのでとりあえずNさんについていくことに。
Sさんは見えなくなったけど数周しない内にお会いすることになる。本当に4時間お疲れ様でした。

ローリングですら普通にきつく、中々前に上がれない。
というか先頭集団どこだったんだろう。
ローリング解除後、集団のペースが上がりその頃にはN村さんも前に消えてた。
集団は楽だと聞いていたが苦しい。苦しみしかない。
自分の限界を越えたペースだったので心拍数も面白いことになってた。
当人はまっっっっっっっっっっっっったく面白くなかったけど。
今なら言えることだがレースに出たことを真面目に後悔した。レース楽しくないやん。

完全にオーバーペースだったので30分しない内に右足のふくらはぎがつった。
痛すぎてうめき声あげてたな…。
某ファンタジーチャリマンガの御堂筋君が片足終わってももう片足で踏んだるわ!みたいなことしてたけど無理。
ビンディングで強制的に足が動かされて激痛。
最終的にはキッズたちにも抜かれる始末。
あまりに惨めすぎてリタイアしようか考える。

このまま走って何の意味があるのか?
上位を狙えないレースに価値があるのか?
誰にも義理立てする必要が無かったら本当にリタイアしていたと思う。
私はKさんに枠を譲ってもらい、Sさんにはレーゼロをお借りして今ここにいる。
少なくともお二人に報いるべきだと思った。
リタイアしてもお二人はよく頑張ったと労ってくれたかもしれないが。…いや多分怒られたか。

とりあえず補給食を全部食べて落ち着く。
自分にとってこのレースはもう何の意味もない。
なら何をすべきか。意味のないレースを全力で駆け抜けるのみ。

心はレースに帰ってきたが足は死んでいた。
確かダンシング出来ないほどに…
坂でサドルからケツを浮かした瞬間「あっ…」ってなったから間違いない。
ふくらはぎに極力負担をかけないペダリングを試行錯誤していく内に安定してきたので集団を取っ替え引っ替えする。
もてぎは参加者多いからそこらにたくさんトレインがあってキセルし放題。
この時が一番楽しかったな。
常に周りの状況を確認して何が最善か考えを巡らせるのがレースっぽかった。

そんなこんなでラスト1周を告げられる。
私の集団はそこそこ速かったので追い抜きラインで進んでいたが坂で新城トレインをパス。
新城選手、今年はステージ優勝してほしい。
実はこの新城トレインにN村さんがいた(らしい)。
私が前に行ったのを見て後ろから追い掛けてきて最後のカーブですっ…と抜かれた。
レース前に「宮くん(私)には負けないかなー(笑)」と煽られて割と頭にきていたのでかなり悔しかった。
少なくともN村さんは午前のチームエンデューロに出ていたので不利な条件だったのにも関わらず、だ。
今回は実力不足、としかいえない。

だが次は負けない、と固く心に誓った。
そしてこの因縁の対決は数ヵ月後に実現することになる。
それは後ほど書きたいと思う。

このレースは数ヵ月経った今でもよく覚えている。
それほど衝撃的だったし楽しかった。ただそれ以上に悔しかった。
翌日は仕事だったがレースの反省ばかりしていたくらいだ。(仕事しろ)
結果は散々だったが誘ってくれたSさん、枠を譲ってくれたKさんには感謝しきれない。
今年はお二人の役に立てるよう奮起したい。

あとN村さんは次◯します。